トップ > 年間エンターテインメント総括

選評  出版関係物故者  放送関係物故者

対象作品は発表された年ではなく、サイト主宰者が実際に目にした年のものとしています。



部門ノミネート作品ベスト作品
図書部門 小説の部 「インターセックス」「全員少年探偵団」「孤島の鬼」 「孤島の鬼」
漫画の部 「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」「フィルムは生きている」 該当作なし
映像部門 映画の部 「ジャッジ!」「カラスの親指 by rule of CROW's thumb」 該当作なし
テレビドラマの部 「だから荒野」「永遠の0」「アルジャーノンに花束を」「無痛〜診える眼〜」「破裂」 該当作なし
アニメーションの部 「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」 該当作なし

2015年選評

与志田選2015年総括。ノミネートに入れていない作品から一言。『花燃ゆ』−放送開始当初からこのままいくと過去最低の大河になると予見していたのがドンピシャ。局側は不評の原因に主人公の知名度の低さを上げているようだが、要は最初から最後まで人物描写が薄っぺらで魅力に欠けていたところにあると思う。その結果が過去最低の視聴率。とにかく総集編を放送期間中途に予告もなくやるようなことはやめてもらいたい。しかもそれが朝だったり昼過ぎだったりと、一貫性のない変則的な時間帯で(1回分録画し損ねたじゃないの)。これでは視聴者から的外れなてこ入れ策と酷評されるのも無理はない。ちなみに初回放送の総集編と年末の総集編ではエンドタイトルが違っていたりする。こういうのも困るなー。DVD等の商品としては年末版で出すんだろうか…。 『GODZILLA ゴジラ』−今回のハリウッド版ゴジラは原点回帰で出来がいいと誰かが言っていたと思うんだけど、自分にとってはめちゃくちゃつまらなかった。何も知らずに見たらVSものだったし、ゴジラの行動もピンと来ない。芹沢博士も非常に中途半端な存在だし。( 16/02/07 )

<図書部門>
『インターセックス』(帚木蓬生・集英社刊)
何の予備知識もなしに読み始めたら何年か前に読んだ『エンブリオ』の続編でした。『エンブリオ』もそうだったけど、どこまでがノンフィクションでどこからがフィクションなのか医学知識素人の自分にはわからず、単純な興味本位で読みました。サスペンス要素を盛り込み引っ張っておきながら落ちが弱いのも『エンブリオ』と同様のような気がします。長々と読んできてなんだここで終わりみたいな。
『全員少年探偵団』(藤谷治・ポプラ社刊)
「江戸川乱歩生誕120周年オマージュ小説シリーズ『みんなの少年探偵団』」4作のうち、文章表現から章立てのスタイルまで、もっともその雰囲気を大事にしていたと好感が持てるのが本作です。『みんなの少年探偵団』では明智と二十面相の関係を新解釈で描いた「永遠」が興味深く、「東京の探偵たち」は少年探偵団というより傷だらけの天使へのオマージュじゃないのと突っ込みを入れたくなります。続く『少年探偵』は文体が妙に気取りすぎなところが鼻につき、『恐怖の緑魔帝王』は茶化しすぎふざけすぎという印象でした。
『孤島の鬼』(江戸川乱歩・東京創元社刊)
再読であるにも関わらず、まったく飽きることなくぐいぐいと読ませられました。しかも今回は竹中英太郎の初出時における挿絵の入った東京創元社版です。雰囲気はばっちり。前半の推理劇から転じて、「人外境便り」からの鮮烈な後半部分は何度読んでもゾクゾクさせられます。昭和初期、85年も前の小説でありながら、文体および描写に古びたところがないのには驚かされるばかりです。多くの現代作家が述べているように、自分にとっても本作こそが乱歩の最高傑作と疑いません。

<映像部門>
『永遠の0』( 2/11〜 2/15・テレビ東京)
テレビドラマの特性を活かしてそれぞれの登場人物の細部がよく描かれていました。とくに戦後ヤクザとなった景浦が松乃を助けるくだりなど。配役もテレビ版のほうがよかったとひいき目に見てしまいます。時間的制約のある映画はどうしてもこの点で不利です。自分はテレビ版に軍配を上げたいです。
『無痛〜診える眼〜』(10/ 7〜12/16・フジテレビ系)
先に原作を読んでいるものにはあのぶっとんだ内容をどう映像化するのかという興味と期待がありましたが、連続ドラマとしてわりとそつなくまとめていたという印象です。人体切断とか、プリン(!)とか…。
『破裂』(10/10〜11/21・NHK総合)
ついに久坂部ブーム到来かと思わせるかのようにまったく同時期に2作品がドラマ化。こちらは登場人物を置き換えるなどして原作における構成の不統一さをうまく補っていた点に拍手。台詞等の表現としてここまで放送していいのか(しかもNHKが)というかなり思い切った意欲作であると評価します。


2015年出版関係物故者

漫画「8(エイト)マン」の原作や大河小説「幻魔大戦」シリーズなどで知られるSF作家の平井和正(ひらい・かずまさ)氏が 1月17日、急性心不全のため死去。76歳。( 1/19 読売新聞朝刊より)
神奈川県生まれ。中央大在学に作家デビュー。1963年、漫画「8マン」の原作を担当。テレビアニメ版の脚本も手がけ、「鉄腕アトム」と人気を二分した。その後、「ウルフガイ」シリーズ、石ノ森章太郎と組んだ漫画をもとにした「幻魔大戦」シリーズなど、SFアクション小説を執筆しベストセラーに。「幻魔大戦」は83年にアニメ映画化され、「ハルマゲドン」(最終戦争)という言葉をはやらせた。

深い学識と透徹した史観で、中国などの歴史小説に新境地を開いた作家の陳舜臣(ちん・しゅんしん)氏が 1月21日、老衰のため死去。90歳。( 1/22 読売新聞朝刊より)
神戸の台湾人貿易商の家に生まれ、大阪外国語学校(現・大阪大)印度語部卒。母校の助手などを経て、1961年に推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受けデビューした。
アジアの歴史へと関心の幅を広げ、67年に大作「阿片戦争」で注目され、69年「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞。日中関係を扱う小説や歴史随筆、紀行などを次々と発表し、人気作家となった。76年「敦煌の旅」で大佛次郎賞、89年「茶事遍路」で読売文学賞、92年「諸葛孔明」で吉川英治文学賞。95年に日本芸術院賞。86年〜94年には直木賞選考委員を務めた。また、「琉球の風」は93年にNHKの大河ドラマになった。
読売新聞に、82年から空海を描く「曼陀羅の人」、02年から歴史小説「青山一髪(後に「孫文」と改題)」などを連載した。

NHK大河ドラマの原作になった歴史小説「天地人」などで知られる作家の火坂雅志(ひさか・まさし)氏が 2月26日、急性すい炎のため死去。58歳。( 2/28 読売新聞朝刊より)
新潟県出身。早稲田大を卒業後、出版社勤務を経て、1988年に「花月秘拳行」でデビュー。豊臣秀吉に仕えた医師を描いた「全宗」など、独自の視点で歴史をとらえ直す手腕で注目され、2007年には、上杉家の家臣、直江兼続を主人公にした「天地人」で中山義秀文学賞に選ばれた。

大人向けのストーリー漫画「劇画」の命名者で国際的に評価された漫画家の辰巳ヨシヒロ(たつみ・よしひろ)氏が 3月 7日、悪性リンパ腫のため死去。79歳。( 3/10 読売新聞朝刊より)
1950年代にデビュー。大阪の貸本漫画でリアルな漫画手法を模索、57年に「劇画」と名付けた。上京後、59年にさいとう・たかをさんらと「劇画工房」を結成、「劇画」普及の基礎を作った。72年「人喰魚」で日本漫画家協会賞努力賞。
2005年に仏アングレーム国際漫画祭特別賞を受賞するなど海外で注目され、日本でも再評価が進んだ。09年、「劇画漂流」で手塚治虫文化賞。14年、同作や短編を基にした映画「TATSUMI」が公開された。

漫画界の重鎮で「ヒゲとボイン」などで知られる漫画家の小島功(こじま・こお)氏が 4月14日、脳出血のため死去。87歳。( 4/18 読売新聞朝刊より)
東京生まれ。1947年、仲間と独立漫画派を結成。豊かな胸としなやかな腰の美女を流麗に描く作風で、68年「日本のかあちゃん」などで文芸春秋漫画賞を受賞。仙人の世界に世相を映す「仙人部落」は「週刊アサヒ芸能」で56年から昨年まで58年間、大人の男女の機微を描く「ヒゲとボイン」は「ビッグコミックオリジナル」で74年から37年間、長期連載。軽妙さと批判精神を備えたナンセンス漫画を追求した。
65年から18年間、テレビ番組「11PM」にレギュラー出演。清水崑さんから引き継いだ清酒会社、黄桜のキャラクター「女かっぱ」でもおなじみだった。
90年紫綬褒章、99年勲四等旭日小授章。日本漫画家協会理事長や同会長を務め、漫画界の発展にも尽くした。

「こぐまちゃんえほんシリーズ」などで知られる絵本作家のわかやまけん氏が 7月17日、死去。85歳。(17/ 8/18 読売新聞朝刊より)
岐阜県生まれ。グラフィックデザインの仕事を経て絵本の挿絵などを手掛け、1970年からクマの子の日常生活を描いた同シリーズを刊行。発行部数293万部の「しろくまちゃんのほっとけーき」などシンプルな描線や鮮やかな色づかいが特色のシリーズは、子どもの初めての絵本として人気となりロングセラーに。シリーズ15冊の累計部数も954万部に達した。他の絵本に「きつねやまのよめいり」など。

サントリーのCMキャラクター「アンクルトリス」などで知られるイラストレーターの柳原良平(やなぎはら・りょうへい)氏が 8月17日、呼吸不全のため死去。84歳。( 8/20 読売新聞朝刊より)
東京都出身。京都市立美術大(現・京都市立芸術大)卒業後、1954年に寿屋(現・サントリーホールディングス)に入社。宣伝部で、作家の開高健や山口瞳らと広告制作を担当し、二頭身半のおしゃれな紳士「アンクルトリス」を世に出した。退社翌年の60年には真鍋博、久里洋二さんと「アニメーション三人の会」を結成、新しいアニメーション表現を目指し、先駆的なアニメを制作した。64年には開高、山口らと広告制作会社を設立した。62年3月から66年6月まで、読売新聞夕刊社会面に四コマ漫画「今日も一日」を1450回連載した。船好きとしても知られ、船や港をテーマにした作品や著書も多い。

「復讐するは我にあり」など凶悪犯罪を題材に多くの社会派小説を執筆した直木賞作家の佐木隆三(さき・りゅうぞう)氏が10月31日、下咽頭がんのため死去。78歳。(11/ 2 読売新聞朝刊より)
朝鮮半島・咸鏡北道生まれ。1941年に引き揚げ、50年に広島県から現在の北九州市に転居。八幡中央高を卒業後、八幡製鉄(現・新日鉄住金)に入社した。職場の同好会で小説の腕を磨き、同人誌などに発表した。63年、「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞を受賞。64年に退職し執筆活動に専念、67年上京した。
76年、福岡、東京などで計5人を殺害し、死刑になった男をモデルにした「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞。同作は79年、今村昌平監督、緒形拳さん主演で映画化された。
刑事事件の取材や裁判の傍聴を精力的に行って執筆活動を続け、91年に殺人事件の受刑者記録を基に書いた「身分帳」で伊藤整文学賞受賞。連続幼女殺害事件が題材の「宮崎勤裁判」、オウム真理教事件をテーマにした「大義なきテロリスト」などを手がけた。ほかに「小説 大逆事件」など。
99年に北九州市門司区に移住。2006年に同市立文学館の初代館長、12年から名誉館長だった。

「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画の第一人者、水木しげる(みずき・しげる)氏が11月30日、多臓器不全のため死去。93歳。(12/ 1 読売新聞朝刊より)
鳥取県境港市出身。21歳で召集され、ラバウル(パプアニューギニア・ニューブリテン島)で、爆撃のため左腕を切断。1946年に復員、紙芝居作者、貸本漫画家を経て、妖怪漫画を描き始めた。
65年、43歳で発表した「テレビくん」が講談社児童まんが賞に。続いて「週刊少年マガジン」で連載した「ゲゲゲの鬼太郎」がテレビアニメとしても大ヒット。「妖怪漫画家」の第一人者として超売れっ子になった。他の作品に「河童の三平」「悪魔くん」などがある。
また、「水木しげるの妖怪事典」「あの世の事典」「妖怪画談」などの妖怪研究書や、戦争体験をもとにした「劇画ヒットラー」「総員玉砕せよ!」など、戦争の愚かしさを告発する劇画も精力的に発表した。
89年「コミック昭和史」全8巻で講談社漫画賞。91年に紫綬褒章、2003年、手塚治虫文化賞特別賞、旭日小授章。10年、文化功労者。93年には、郷里、境港市に「水木しげるロード」が完成した。
妻の布枝さんが夫婦の半生を描いた「ゲゲゲの女房」が10年にNHK連続テレビ小説で放送された。

「焼け跡闇市派」を自称した作家で、元参議院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)氏が12月 9日、死去。85歳。(12/10 読売新聞夕刊より)
神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大仏文科中退後、コラムニストやテレビ作家として注目され、1963年には「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞を受けた。
同年、「エロ事師たち」で小説デビュー。空襲で生き残ったことなど戦中戦後の体験へのうしろめたさから、「焼け跡闇市派」を自称することになる。戦後の性風俗を息の長い関西弁風の独特の文体で描き、新戯作派とも呼ばれた。68年には、「火垂るの墓」と「アメリカひじき」で直木賞を受賞。97年には「同心円」で吉川英治文学賞を受けた。
72年には雑誌「面白半分」編集長として永井荷風作とされる「四畳半襖の下張」を掲載し、わいせつ文書販売罪で刑事事件の被告になり、法廷闘争。最高裁で罰金10万円の有罪判決が確定した。
83年には参議院比例代表で二院クラブから当選。同年12月の衆院選では、金権政治を批判して、田中角栄元首相の選挙区である旧新潟3区から立候補し、落選した。「火垂るの墓」は88年に高畑勲監督がアニメ映画化し、話題を呼んだ。

立教大名誉教授の平井隆太郎(ひらい・りゅうたろう)氏が12月 9日、肺炎のため死去。94歳。(12/15 読売新聞朝刊より)
立教大社会学部長、総長事務取扱を務めたほか、作家、江戸川乱歩の長男として、乱歩の遺品や蔵書などの保存に尽力した。著書に、乱歩の手製のスクラップを手がかりにその人生を読み解いた「乱歩の軌跡」など。


2015年放送関係物故者

脚本家の須崎勝彌(すさき・かつや)氏が 1月 9日、慢性腎不全のため死去。93歳。( 1/17 読売新聞朝刊より)
映画「連合艦隊」や、山口百恵さん主演の「潮騒」、テレビドラマ「これが青春だ」などの脚本を手がけた。

アメリカSFドラマ「スター・トレック」で耳がとがった「ミスター・スポック」を演じたアメリカの俳優レナード・ニモイ氏が 2月27日死去。83歳。( 2/28 読売新聞夕刊より)
「スター・トレック」は1966年にテレビ放映が始まり、映画もシリーズ化された。オバマ米大統領は声明で「私はスポックが大好きだった」と悼んだ。
テレビドラマ「スパイ大作戦」などにも出演、「スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!」(84年)や「スリーメン&ベビー」(87年)などで映画監督も務めた。

グループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーだった加瀬邦彦(かせ・くにひこ)氏が 4月21日、東京都内の自宅で自殺。74歳。( 4/22 読売新聞朝刊より)
東京生まれ。慶応義塾高に在学中、加山雄三さんと親交を深め、ギターを始めた。慶応大時代に「ザ・スパイダース」に加わり、後に「寺内タケシとブルージーンズ」に移った。1966年、4人組の「ワイルドワンズ」でデビュー。作曲を担当したデビュー曲「想い出の渚」が大ヒットとなった。71年にグループを解散後は、人気歌手の沢田研二さんのプロデュースを務め、「危険なふたり」「TOKIO」の作曲も手がけた。81年にワイルドワンズを再結成し、2011年には全国ツアーを行った。

脚本家の高橋二三(たかはし・にいさん)氏が 5月 5日、脳幹出血のため死去。89歳。( 5/15 読売新聞朝刊より)
映画ガメラシリーズの脚本を多数手がけ、テレビアニメ「みつばちマーヤの冒険」なども担当した。

清純派の美人スターとして戦前戦後を通じて活躍し、「永遠の処女」と呼ばれた伝説の女優、原節子(はら・せつこ)さんが 9月 5日、肺炎のため死去。95歳。(11/26 読売新聞朝刊より)
横浜高等女学校を中退し、1935年、義兄・熊谷久虎監督の縁で日活多摩川撮影所に入社。15歳で「ためらふ勿れ若人よ」でデビューした。「緑の地平線」「河内山宗俊」などを経て、37年、日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜てきされ、大きな話題を呼んだ。
戦後には、黒沢明監督「わが青春に悔なし」、吉村公三監督「安城家の舞踏会」、今井正監督「青い山脈」など名匠の作品に出演、日本人離れした彫の深い美貌とはつらつとした明るさで人気女優の地位を確立した。
特に小津安二郎監督「晩春」「東京物語」、成瀬巳喜男監督「めし」「山の音」などの名作で、知的で優しい成熟した女性像を演じ、名実ともにトップ女優になった。
その後、「驟雨」「東京暮色」「秋日和」などに出演、100本を超える映画に出演したが、62年、42歳で「忠臣蔵」の大石りくを演じたのを最後に、スクリーンから遠ざかった。終生、独身を通し、自らマスコミに登場することもなかった。

イギリス映画監督のジョン・ギラーミン氏が 9月27日、心臓発作のため死去。89歳。(10/ 3 読売新聞朝刊より)
代表作は、超高層ビルの火災を題材にしたパニック映画「タワーリング・インフェルノ」(1974年)や「キングコング」(76年)、「ナイル殺人事件」(78年)など。

脚本家の山内久(やまのうち・ひさし)氏が 9月29日、老衰のため死去。90歳。(10/ 1 読売新聞朝刊より)
田中啓一名義で書いた映画「幕末太陽傳」を始め、「豚と軍艦」、テレビドラマ「若者たち」、1970年に芸術祭大賞を受賞した「海のあく日」など数多くの脚本を手掛けた。90年に紫授褒章。日本シナリオ作家協会の理事長も務めた。

テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌など愛嬌のある声で知られる俳優で、劇団テアトル・エコー代表の熊倉一雄(くまくら・かずお)氏が10月12日、直腸がんのため死去。88歳。(10/17 読売新聞朝刊より)
映画やアニメの吹き替えでは草分け的存在。特徴のある鼻にかかった声を生かし、1950年代からテレビの「ヒッチコック劇場」「ひょっこりひょうたん島」などの吹き替えで活躍したほか、ドラマやコント番組「ゲバゲバ90分」にも出演、ユニークな性格俳優ぶりで人気を博した。
井上ひさしさんに劇作を勧め、69年には井上さんの初戯曲「日本人のへそ」を自らの演出によってテアトル・エコーで初演。ニール・サイモン作「サンシャイン・ボーイズ」の演技で98年度の紀伊国屋演劇賞を受賞。2011年に読売演劇大賞・選考委員特別賞を受けた。

「襟裳岬」「旅の宿」などのヒット曲で知られる作詞家の岡本おさみ(おかもと・おさみ)氏が11月30日、心不全のため死去。73歳。(12/18 読売新聞夕刊より)
鳥取県米子市出身。「旅の宿」「落陽」「祭りのあと」「おきざりにした悲しみは」など、吉田拓郎さんの数多くの曲で作詞を担当。作曲の吉田さんとのコンビで手がけた「襟裳岬」は、1974年に森進一さんが歌って大ヒット。日本レコード大賞を受賞した。「襟裳の春は 何もない春です」というフレーズは広く知られている。作詞作品はほかに、岸田智史さんの「きみの朝」など。近年はミュージカルの作詞でも活躍した。