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放送期間:昭和50年 6月 6日〜 9月26日(全17回) 放送時間:金曜 後10:00〜10:55

制作著作:TBS
プロデューサー:久世光彦 原作:阿久悠、上村一夫 脚本:長谷川和彦 音楽:井上堯之、大野克夫

出演 沢田研二(可門良)、藤竜也(野々村修二)、荒木一郎(八村八郎)、安田道代(八村ふみよ)、
篠ヒロコ(山川静枝)、三木聖子(いずみ)、谷口世津/関根世津子(ノノ)、浦辺粂子(八村ハル)、
阿部昇二(夢さん)、金田竜之介(富山医師)、悠木千帆(看護婦)、伊東四朗(倉本)、
細川俊之(王礼仁)、尾崎紀世彦(矢頭たけし)、那智わたる(日夏恵い子)、若山富三郎(白戸警部)




No.放送日サブタイトル演出
1 '75/06/06 第一回 久世光彦
2 06/13 第二回 久世光彦
3 06/20 第三回 和田旭
4 06/27 第四回 前川英樹
5 07/04 第五回 久世光彦
6 07/11 第六回 和田旭
7 07/18 第七回 前川英樹
8 07/25 第八回 浅生憲章
9 08/01 第九回 和田旭
10 08/08 第十回 前川英樹
11 08/15 第十一回 久世光彦
12 08/22 第十二回 和田旭
13 08/29 第十三回 久世光彦
14 09/05 第十四回 久世光彦
15 09/12 第十五回 前川英樹
16 09/19 第十六回 和田旭
17 09/26 最終回 久世光彦、大岡進


解説

1968年に発生し、75年に未解決のまま時効を迎えた三億円事件をモチーフにしたドラマ。本放送以後一度も再放送されず、長い間ビデオ化もされずにいた幻のタイトルである。実際、視聴率的に低迷しただけでなく、内容的にも過激できわどい描写の多いところからなのだろうが、それがまたこのドラマの伝説化に拍車をかけている。
原作は阿久悠と上村一夫による劇画。プロデュースと演出を久世光彦。人気絶頂期にあった沢田研二が主演し、本人の歌う挿入歌「時の過ぎゆくままに」の大ヒット(沢田最大のヒット曲)。さらには映画『青春の殺人者』('76)一作で今なお支持され続けるカリスマ監督長谷川和彦が脚本を手がけるなど、カルト的な伝説的要素ばかりに注目が集まる感があるが、あらためて冷静に見るとドラマとしてはいささか崩壊気味といわざるを得ない。
まずなにより登場する人物の誰にも感情移入することができないのである。人物設定に要因があるのか、登場人物の誰一人として何を考えているのかがわからない。とくに沢田、藤、篠ら、主人公たちの台詞がつぶやくようで聞き取りづらいことには閉口させられる。そこに到底意味があるとは思えない暴力やベッドシーンの多さ。最後には登場人物のほとんどが殺されてしまうというとてつもない陰惨さまでついてくる。とにかく全体を占めるトーンが非常に暗く、見ているのがつらくなってくる。第七回にしてようやく三億円の強奪シーン(いわゆる68年12月10日朝の描写)が描かれ、サスペンスドラマ調になるのを見て逆にホッとさせられるくらいである。
これには原作者阿久悠の言葉があるので引用させていただく。「6回目ぐらいまではわりと原作に添ってるんだけど、そこから先は、視聴率が上がらないもんだから、東映任侠物風に血しぶき飛び散るみたいな話になっていって(以下略)」「人間万葉歌」ライナーノーツより。
この言葉からすると本作は必ずしも三億円事件を描こうとしていたわけではなく、むしろそれはドラマを構築する上での味付けに過ぎなかったことがうかがわれる。そもそも本作の仕掛け人である久世光彦は、沢田研二という時代の寵児をもっとも輝かしい形で映像に残したかったのである。そこにブレーンとして阿久悠と上村一夫が加わることで、男女のどろどろとした情念の物語が醸成されていくのだが、一方の長谷川和彦は感情をどこかにおいてきたような突き放した視点で物語を展開させ、いかにもちぐはぐなドラマができあがってしまったと推察する。確かに前半のドラマ展開は艶めいていて阿久や上村のカラーっぽいといえるし、後半はやたらとどんぱちが繰り広げられる無国籍風なのである。
余談だが、長谷川はこの後、本作における三億円を原爆に置き換え、本作と同様に死線を抱えた主人公に沢田を起用した映画『太陽を盗んだ男』('79)を完成させる。いわば長谷川にとって本作は『太陽を盗んだ男』の原型であり、このときに味わったテレビ界の制約等からくるフラストレーションを自身の映画で晴らしたと見てとれよう。
ちなみにこのドラマが放送された1975年に三億円事件は時効を迎える。つまり実際の時効とシンクロする形で放送が行われていたわけである(ドラマの最後には毎回「三億円事件時効まであと○日」と、放送日から実際の時効成立12月10日までの日数がカウント表示されていた)。
参考データを付す。劇画の連載開始は75年3月、掲載誌は講談社の「ヤングレディ」。劇画とドラマでは結末が違っているそうだが、残念ながら筆者、劇画は未読である。



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