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選評  出版関係物故者  放送関係物故者

対象作品は発表された年ではなく、サイト主宰者が実際に目にした年のものとしています。



部門ノミネート作品ベスト作品
図書部門 小説の部 「清須会議」「空也上人がいた」「第五番」 「第五番」
漫画の部 「新幻魔大戦」「妖女伝説」 該当作なし
映像部門 映画の部 「映画 ひみつのアッコちゃん」「清須会議」 該当作なし
テレビドラマの部 「おしん」「軍師官兵衛」「チーム・バチスタ4 螺鈿迷宮」「55歳からのハローライフ」「おやじの背中」 「おしん」
アニメーションの部 「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」 該当作なし

2014年選評

与志田選2014年総括。ノミネートに入れていない作品から一言(2ちゃん風に)。『嫌われ松子の一生』−原作を読む。テレビ版も映画版も意外と原作に忠実なのだな。続編も読む。『新幻魔大戦』−「SFマガジン」に連載されていたころ断片的に目にして「なんで時代劇?」と思っていたのが、いま初めて全編を通して読んで(でも未完)こういうわけだったのかと。『明日、ママがいない』−野島伸司が脚本監修ということから衝撃的な展開でスタートしたと思ったら、途中から三上博史が金八先生っぽくなっとるで。木村文乃は一押し。おのののかとの見分けがつかん(苦笑)。『霧の旗』−これじゃまるきり逆恨みでしょ。椎名桔平のほうがかわいそうになってしまう。掘北真希はこのところ急に大人っぽくなった。( 15/02/12 )

<図書部門>
『清須会議』(三谷幸喜・幻冬舎刊)
本作の映画版はいかにも三谷さんらしいといった出来で、絶賛はしないけどつまらなくもない(最近の三谷作品すべてに言える)という個人的評価ですが、むしろ小説は人物それぞれの思惑がわかりやすいほどに描き分けられていて面白かったです。
『空也上人がいた』(山田太一・朝日新聞出版刊)
山田太一のひさびさの小説。中編ともいえない150ページほどの短めの作品なのが残念です。あっという間に読み終えてしまえるのだけど、読み終えてしまうのがもったいなく感じられる山田氏らしい好編です。氏もご高齢となり、体力的に続かないのだろうか。そんなふうに想像してしまい長年のファンとしてはかなり淋しいものがあります。
『第五番』(久坂部羊・幻冬舎刊)
待望の『無痛』の続編。きわめて刺激的な前作にどう決着をつけるのか期待を膨らませていましたが、期待を裏切らぬ面白さ。文体および構成に稚拙さを隠せなかった初期作品に比べ、小説としても完成度が格段に増してきているように思います。ハラハラドキドキしながらこの作者独特のドロドロの展開を期待していると、意外にも結末はいたってヒューマンでした。続いて読んだ『悪医』もこれまたこれまでの同作者のカラーとはかけ離れた印象で、神聖さを感じられるようなきわめてヒューマンな内容。いよいよ路線変更かと思いきや、さらに続けて読んだ短編集『嗤う名医』の一編「名医の微笑」で来ましたー。ひさびさに作者独特のグロテスク趣味が首をもたげてました。

<映像部門>
『映画 ひみつのアッコちゃん』(10/17・日本テレビ系)
―2012年"映画 ひみつのアッコちゃん"製作委員会 綾瀬はるか 川村泰祐監督
漫画が原作とたかをくくって見ていたら、なんと意外にも面白くありました。ストーリーはまったくのオリジナルでありながら、原作のシチュエーションのみを抜き出して見事に昇華しているといった感じです。こういうやりかたもあるんだなと感心。とにかく綾瀬はるかがいい。ラストもいい。
『おしん』( 13/ 1/ 6〜 12/15・NHK BSプレミアム)
全話を通してはじめて見ました(まだ残りちょっとですけど…)。少女時代ばかりが印象的ですが、じつは全体に占める割合は6週しかありません。姑からこれでもかといった感じでいびられ続ける佐賀編のほうが見ていてつらくなりました。佐賀編だけでも少女期とほぼ同じ回数です。橋田先生はきっとここが一番書きたかったのでしょう。
『55歳からのハローライフ』( 6/14〜 7/12・NHK総合)
一話完結でありながら、登場人物が別の話に脇役、あるいは通行人的にかぶってくるという構成が気取っています。とにかく全話を通してキャスティングが渋い。昨今こうしたドラマなかなかないでしょ。広い意味でシルバー世代直前の再就職をテーマとしているところから、タイトルは「〜ハローワーク」だとずっと思い込んでました(苦笑)。イッセー尾形主演の最終話が心に残ります。音楽もまた印象的でした。
『おやじの背中』( 7/13〜 9/14・TBSテレビ系)
テレビドラマ全盛期にはよくあったこうしたオムニバス企画。昨今はとんと少なくなっているだけに歓迎です。当たり外れはあるけれど。残念ながら大家と呼ばれる脚本家の作品がいまひとつであったことは否めず、むしろ中堅の岡田惠和あたりがいい味を出してました。


2014年出版関係物故者

童謡「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」などで知られる詩人のまど・みちお氏が 2月28日、老衰のため死去。104歳。( 2/28 読売新聞夕刊より)
山口県生まれ。9歳の時に台湾に転居し、台北工業学校土木科を卒業。台湾総督府道路港湾課に勤務していた1934年、絵本雑誌「コドモノクニ」に投稿した童謡2編が北原白秋の選で特選になり、本格的に詩と童謡の創作を始めた。
戦後は、詩人の与田準一さんの呼びかけで、「コドモノクニ」から誌名変更した幼児雑誌「チャイルドブック」の創刊にかかわった。
「ぞうさん」を書いたのは、国民図書刊行会(現チャイルド本社)で働いていた51年、41歳の時。音感教育家の酒田冨治さんから「幼児向けの童謡を書いてほしい」と頼まれ、一晩で書き上げた。團伊玖磨が作曲し、翌52年にNHKで初放送され、全国に広まった。ほかに「一ねんせいに なったら」「ふしぎな ポケット」なども作詞した。
68年に発表した第一詩集「てんぷらぴりぴり」で野間児童文芸賞を受賞。93年、「まど・みちお全詩集」芸術選奨文部大臣賞、94年、日本人として初めて国際アンデルセン賞作家賞を受賞。99年に朝日賞、2003年に日本芸術院賞を受けた。晩年も、09年11月の100歳の誕生日を前に、書き下ろしの詩集2冊を刊行した。

「失楽園」「ひとひらの雪」など男女の関係を突き詰めた恋愛小説などで知られる作家の渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)氏が 4月30日、前立腺がんのため死去。80歳。( 5/ 6 読売新聞朝刊より)
北海道生まれ。札幌医大卒業後、整形外科医の傍ら同人誌に作品を発表、1965年、「死化粧」で新潮同人雑誌賞。上京後の70年、「光と影」で直木賞を受賞し、医学小説を開拓した。素顔の野口英世を描く「遠き落日」(吉川英治文学賞)など伝記文学も手がけたが、80年代からは成熟した男女の恋愛に着目。「ひとひらの雪」「桜の樹の下で」など、中高年の性愛にメスを入れる話題作で、「新しい情痴文学」と称された。
97年に刊行の「失楽園」は男女関係の壮絶な描写が反響を呼び、上下巻計260万部を超すベストセラーに。映画やテレビドラマもヒットし、中高年の不倫を意味する「失楽園」は流行語大賞に選ばれた。
エッセーも多く2007年の「鈍感力」もミリオンセラーに。03年に紫綬褒章、菊池寛賞。

世界的なベストセラー「アルジャーノンに花束を」で知られる作家のダニエル・キイス氏が 6月15日、死去。86歳。( 6/18 読売新聞夕刊より)
米ニューヨーク生まれ。1959年に発表した同作品でSF界の権威であるヒューゴー賞を受け、これを書き改めた作品はネビュラ賞に輝いた。他の作品に「五番目のサリー」「24人のビリー・ミルガン」など。

漫画家の中島徳博(なかじま・のりひろ)氏が 8月28日、大腸がんのため死去。64歳。( 9/ 1 読売新聞夕刊より)
鹿児島県出身。1972年から週刊少年ジャンプに連載された、奇想天外な野球漫画「アストロ球団」(遠崎史朗・作)の作画を担当、人気を呼んだ。

作家の司馬遼太郎さんの妻で、司馬遼太郎記念財団名誉理事の福田みどり(ふくだ・みどり)さんが11月12日、心不全のため死去。85歳。(11/13 読売新聞朝刊より)
大阪府生まれ。1949年、産経新聞社に入社。同じ文化部記者だった司馬さんと59年に結婚後、64年に退社。人気作家となった司馬さんを支え国内外の取材旅行にも同行した。
96年に司馬さんが死去した後、同財団理事長を2012年まで務めたほか、東大阪市の司馬遼太郎記念館の運営にあたった。
著書に「司馬さんは夢の中」(中央公論新社)など。

逆境を生き抜く女の一生を物語性豊かに描いた作家で、文化功労者の宮尾登美子(みやお・とみこ)さんが12月30日、老衰のため死去。88歳。(15/ 1/ 8 読売新聞朝刊より)
高知市生まれ。戦後、結核の闘病や離婚、再婚を経て小説を執筆。1973年、生家をモデルにした「櫂」で太宰治賞を受賞し、47歳で本格的な作家活動を始めた。77年に「寒椿」で女流文学賞、79年に「一絃の琴」で直木賞。「朱夏」「春燈」などの自伝的小説、日本画家・上村松園をモデルにした「序の舞」(吉川英治文学賞)、出身地・土佐を舞台にした「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」、歴史小説「天璋院篤姫」などで様々な女性たちを描いた。
ベストセラーの「藏」をはじめ、映画やテレビドラマ、舞台となった作品も多く、幅広い人気を集めた。90〜91年には本紙に「菊亭八百善の人びと」を連載。「宮尾本 平家物語」にも取り組み、2008年には古代織物の復元に情熱を注ぐ男を主人公にした「錦」を刊行。09年、文化功労者に選ばれた。


2014年放送関係物故者

人気司会者で歌手、タレントのやしきたかじん氏が 1月 7日死去。64歳。( 1/ 8 読売新聞朝刊より)
大阪府生まれ。大学時代から歌手活動を始め、1984年に「あんた」、86年に「やっぱ好きやねん」など次々にヒット曲を放つ一方、歯に衣を着せぬ発言が人気を呼び、関西の民放テレビで司会者として活躍、「関西の視聴率男」との異名を取った。
「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)、「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)、「たかじんNOマネー」(テレビ大阪)など、自身の名前を冠した数多くのレギュラー番組に出演していた。

声優、俳優の加藤精三(かとう・せいぞう)氏が 1月17日、膀胱がんのため死去。86歳。( 1/18 読売新聞朝刊より)
アニメ「巨人の星」で主人公の厳格な父親、星一徹役を演じて人気を集め、特撮ドラマや映画の吹き替えでも活躍した。

テレビアニメ「サザエさん」の磯野波平役などで親しまれた声優の永井一郎(ながい・いちろう)氏が 1月27日、虚血性心疾患のため死去。82歳。( 1/28 読売新聞朝刊より)
大阪府池田市出身。京大卒業後、電通に入社したが演劇を志して退社し、劇団に入った。その後、声優に転じ、1969年に始まった「サザエさん」(フジテレビ系)で、頑固な一家の大黒柱・波平を当初から務めてきた。
他にもアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の佐渡酒造、「じゃりん子チエ」の小鉄、「うる星やつら」の錯乱坊など、渋さの中にも軽妙な味わいのある声で、幅広い役をこなした。「機動戦士ガンダム」など多くの番組でナレーションも担当した。

スイスのデザイナー、ハンス・ルドルフ・ギーガー氏が 5月12日、落下事故によるけがのため死去。74歳。( 5/14 読売新聞朝刊より)
スイスで生まれ、チューリヒで建築と工業デザインを学んだ。1960〜70年代に多数の音楽バンドのレコードジャケットを手がけた。79年の映画「エイリアン」で異星生物をデザインし、アカデミー賞視覚効果賞を受賞した。

バリトン歌手、東京芸大名誉教授の平野忠彦(ひらの・ただひこ)氏が 6月13日、急性心筋梗塞のため死去。76歳。( 6/14 読売新聞夕刊より)
「フィガロの結婚」「三文オペラ」などに主演し、「夕鶴」など多くの和製オペラの初公演に出演。ミュージカル「アニー」でも活躍した。テレビアニメ「ジャングル大帝」の主題歌も歌った。

NHKの看板ディレクターとして活躍した演出家の深町幸男(ふかまち・ゆきお)氏が 6月21日死去。83歳。( 6/23 読売新聞朝刊より)
早大卒業後、新東宝の助監督を経て、1963年にNHK入局。人間への鋭い観察と情感豊かな映像によって、吉永小百合さんが主演した「夢千代日記」をはじめ、向田邦子作品を原作にした「あ・うん」「父の詫び状」、社会的テーマを扱った「事件」など、数々のドラマを演出した。
87年にNHKを退職後、民放のドラマや舞台も数多く演出。2000年公開の映画「長崎ぶらぶら節」も監督した。95年に紫綬褒章。

声優の仲村秀生(なかむら・しゅうせい)氏が 7月30日死去。79歳。( 8/ 7 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「あしたのジョー」の力石徹や「宇宙戦艦ヤマト」の島大介らの声を担当した。

作詞家で直木賞作家の山口洋子(やまぐち・ようこ)さんが 9月 6日、呼吸不全のため死去。77歳。( 9/16 読売新聞夕刊より)
名古屋市出身。東映の第4期ニューフェースに選ばれたが、女優の道をあきらめ、東京・銀座でクラブ「姫」を開店。その後作詞を始めた。五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」が1971年に大ヒット。五木さんはこの曲をきっかけにスターの座をつかんだ。
男女関係の機微を象徴的な言葉を使い、巧みに表現した。五木さんの曲では「長崎から船に乗って」や「千曲川」、日本レコード大賞を受賞した「夜空」なども作詞。中条きよしさんの「うそ」、石原裕次郎さんの「ブランデーグラス」、山川豊さんの「アメリカ橋」なども手がけた。
小説も執筆し、84年に「プライベート・ライブ」で吉川英治文学新人賞。翌年、「演歌の虫」「老梅」で直木賞を射止めた。クラブ経営で身につけた人間観察力を生かし、「夜の底に生きる」「愛されかた知ってますか」などの小説、エッセーを多数発表。96年には、「姫」の歴史をつづった「ザ・ラスト・ワルツ」を発表した。また、プロ野球選手や芸能人などとの幅広い交友関係でも知られた。

声優の家弓家正(かゆみ・いえまさ)氏が 9月30日死去。80歳。(10/ 9 読売新聞朝刊より)
フランク・シナトラらの洋画吹き替えや、アニメーション映画「風の谷のナウシカ」のクロトワ役などを務めた。

「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などのヒットドラマで知られるテレビ演出家でプロデューサーの大山勝美(おおやま・かつみ)氏が10月 5日、多臓器不全のため死去。82歳。(10/ 8 読売新聞夕刊より)
1957年、東京放送(TBS)に入社し、92年に退職するまで一貫してドラマ畑を歩いた。62年に「若もの 努の場合」で芸術祭奨励賞を受賞したのを手始めに、次々と話題作を演出・制作。「賞取り男」の異名を取り、TBSドラマの黄金時代を築いた。
77年に放送された「岸辺のアルバム」などの制作で芸術選奨文部大臣賞。その後も脚本家の向田邦子さん、倉本聰さん、山田太一さんらと組み、人間の内面に切り込む作品を次々と生み出した。83年には、さえない若者たちの日常を等身大でで描いた「ふぞろいの林檎たち」が大ヒットした。TBS退社後に制作会社「カズモ」を設立。「蔵」(NHK)をはじめ、数多くのテレビドラマを制作、演出した。94年に紫綬褒章を受章。番組制作の経験者などで作る「放送人の会」の代表幹事も務めた。

元日本テレビ・チーフディレクターの吉野洋(よしの・ひろし)氏が10月24日死去。72歳。(10/28 読売新聞朝刊より)
倉本聰さん脚本の「前略おふくろ様」(1975〜77年)をはじめ、「星の金貨」(95年)など多くのドラマを演出した。

元NHK会長の川口幹夫(かわぐち・みきお)氏が11月 5日、胃がんのため死去。88歳。(11/ 6 読売新聞朝刊より)
鹿児島県生まれ。1950年にNHK入局。主に芸能畑を歩み、「夢であいましょう」などの音楽・バラエティー分野の番組を担当。「紅白歌合戦」にショー的要素を取り込み、国際色も持たせるなどして人気を高め、国民的番組に育てた。
放送総局長、NHK交響楽団理事長を経て、91年7月に国会虚偽答弁問題で引責辞任した島桂次会長の後任として、会長に就任。2期6年の任期を務めた。

映画「網走番外地」「幸福しあわせの黄色いハンカチ」「鉄道員」などで男気のある寡黙な人物を演じ、「健さん」と親しまれた日本映画界のスター、高倉健(たかくら・けん)氏が11月10日、悪性リンパ腫のため死去。83歳。(11/18 読売新聞夕刊より)
福岡県中間市生まれ。明治大商学部卒業後、東映に第2期ニューフェースとして入社。1956年、「電光空手打ち」で俳優デビュー。「日本侠客伝」「昭和残侠伝」「網走番外地」などの任侠映画で一世を風靡した。
東映を退社後、「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)、「八甲田山」(77年)に相次いで出演。「幸福の黄色いハンカチ」(77年)で、日本アカデミー賞などの主演男優賞を受賞した。
80年代以降は「駅/STATION」「南極物語」「あ・うん」などで日本映画の屋台骨を支える活躍を見せた。浅田次郎さんの直木賞受賞作を映画化した「鉄道員」(99年)や、特攻隊から生還した漁師を演じた「ホタル」(2001年)に主演。米国映画「ブラック・レイン」(1989年)、中国映画「単騎、千里を走る。」(2005年)など国際的にも活躍した。12年には6年ぶりに映画「あなたへ」に主演し、亡き妻の遺灰を故郷の海に散骨するため旅をする男を演じた。13年に文化勲章。

矢沢永吉さんらとともにロックバンド「キャロル」で活躍した歌手で俳優のジョニー大倉(じょにー・おおくら)氏が11月19日、肺炎のため死去。62歳。(11/27 読売新聞夕刊より)
1972年にキャロルの一員としてデビュー。翌年には大倉さん作詞、矢沢さん作曲の「ファンキー・モンキー・ベイビー」がヒットした。リーゼントに革ジャンというスタイルで、若者を熱狂させた。75年のキャロル解散後はソロで音楽を続け、俳優としても活躍した。81年の映画「遠雷」では日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。その後も大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」などに出演した。

作曲家の越部信義(こしべ・のぶよし)氏が11月21日、脳梗塞と肺炎の合併症のため死去。81歳。(11/28 読売新聞朝刊より)
童謡「おもちゃのチャチャチャ」や、テレビアニメ「パーマン」「マッハGoGoGo」の主題歌、「サザエさん」の挿入曲などを作曲。「光る東芝」などCMソングも多数手がけた。

映画特撮監督の川北紘一(かわきた・こういち)氏が12月 5日、肝不全のため死去。72歳。(12/11 読売新聞夕刊より)
「ゴジラVSビオランテ」(1989年)などのSF映画で特撮技術監督を務めた。