最初に違和感を覚えたのは昨年の夏だったろうか。2度目の手術以来、違和感は違和感としてずっとあったので、気のせいだろうと思い込もうとしていた。ちょうどその頃に白内障の手術を控えていたためもある。
それが昨年の暮れになって、妻から「耳の後ろが赤くなっている、膨らんでいる」と言われる。「まさか、また...」と疑念がよぎるが、年末の忙しさもあって病院にいくのは年が明けてからでいいかなと考えていた。しかし正月休み中にも違和感はだんだんと大きくなっていた。過去2回の経験から腫瘍に間違いないような気がする。はっきりそうだと診断を下されるのが怖くて、病院に行くのを先延ばしにしていたのかもしれない。
ところで、前回の入院時にはインターネットもまだ使いこなせていなかったので、知り得る情報はずいぶんと限られていた。今回の入院に当たっては、病院や病気の情報を家にいながらネットから入手することができ、この点ではものすごくいい時代になったなと思う。また、前回の入院ではテレホンカードを何枚も持参した記憶があるが、今回の入院では連絡はすべて携帯で済む。携帯は入院中に音楽プレイヤーとしても役立った。
1月11日(火) 晴れ
8時起き。会社を半休して防衛医大病院へ。気になる耳の後ろの腫れを診てもらいに耳鼻科を受診。12年前と様子はそれほど変わっていない。さすがに当時の医師はいないようだが。過去のそれと同様、今回も耳の後ろに針を刺され、検査にまわす細胞を取られる。これがとんでもなく痛い!触診とエコーの検査では、やはり腫瘍に間違いないだろうとのこと。もしかしてなんでもないことを祈っていたが、やはりという感じ。会計を済ませば12時過ぎ。それから会社に向かう。
2月8日(火) 曇り時々晴れのち雨
会社を午前中で上がって防衛医大。MRI検査に向かう。検査は1時間ほど。担当医師は不在であったが、耳鼻科外来に寄って少し話を聞いてから帰って4時。
2月15日(火) 晴れ
8時半起き。会社を休んで防衛医大へ。検査の結果が出る。今回も悪性のものではないが、腫瘍が5ヶ所に散らばっていて、そのうちのひとつはかなり奥のほうにあるという。そのため過去2回よりも大掛かりな手術になるとのこと。手術は4月か、早ければ3月にという。まったく心の準備ができておらず、かなり落ち込む。帰って12時。昼食を食べ、そのことを妻に伝える。
3月1日(火) 曇りのち雨
10時起き。バイクで防衛医大へ。電車で来た妻と落ち合い、耳鼻科でT医師より一緒に説明を受ける。前回よりも落ち着いて話が聞け、妻も納得したよう。それでも紹介状をもらって、12年前に手術を執刀してくれたK医師のいる杏林大病院へ行ってみようと思う。妻と別れて東村山の税務署へ。
3月4日(金) 晴れ
8時起き。半休を取って杏林大学付属病院まで。いつも出かけるのと同じ時間にバイクで出て9時過ぎ着。とても大きくきれいな病院にびっくり。診察の申し込みをしていると実習生の女の子が声をかけてくる。初診の人につきそう研修だそうである。「えっ」と思ったが、たくさんいる人の中から声をかけてくれたその縁に応える。実習生といっても病院のことをそれほど知っている様子ではないところが逆に微笑ましい。会計が済むまで一緒にいたのだが、コートなんぞも持ってもらったり、雑談をしながら待ち時間を待ち、それだけでもずいぶんと気持ちが和んだ。相当に待つことを覚悟してきたが、それほどでもなく、12年前に手術をしてくれたK医師の診察を受ける。結果は防衛医大で聞いたこととほぼ変わりなく、このまま防衛医大で手術を受ける気持ちが固まる。病院を後にして会社に向かう。
3月22日(火) 雨
8時起き。防衛医大へ手術前の検査。心電図、肺機能、レントゲン、尿、血液検査の後、担当のT医師の診察。さらに形成外科の診察もある。あとは実際に入院に臨むのみ。一日休むつもりでいたが、半休にして午後2時半から出社する。
先に書いたよう、今回の入院ではネット上の情報に助けられる部分が多くありました。それも医学的な専門情報より、むしろ同じ病気を抱える体験者の口コミが大です。その恩返しの意味を込めて、自分も今回の体験をネットに公開することにしました。耳下腺腫瘍自体はそれほどめずらしい病気ではないと聞きますが、おそらく3度も手術摘出した経験のある人はなかなかいないでしょうから(担当医もそう言ってました)。同じ病気を抱える人たちの何かしらの参考になればと思う次第です。
なお、これら一連の記事はリアルタイムに書いたものではなく、3度目の手術の後に情報をあらためて整理してまとめたものであることをお断りしておきます。